次々とアッチコッチのTwitter関連サービスがサヨナラしてってるね。
今まであんま真面目にAPIの変更内容チェックしてなかった。
個人のツイートを自前で取り込むだけのウチみたいなインハウスツールすら最早機能しないんだな。
なんか本気でお仕舞い感が出てきたねTwitter。ありがとうイーロン。
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今まであんま真面目にAPIの変更内容チェックしてなかった。
個人のツイートを自前で取り込むだけのウチみたいなインハウスツールすら最早機能しないんだな。
なんか本気でお仕舞い感が出てきたねTwitter。ありがとうイーロン。
伊豆の美術解剖学者こと加藤公太先生@kato_anatomyのツイートを真似して、一昨日アップした自分の絵に筋肉の地図的なのザックリ描き入れてみました。
鋼の巨人?w
いざこうやって描いてみると今まで曖昧なまま描いてた箇所が自分でもよく分かったり。
間違えてるトコも随所にあるかもしれません。(三角筋と僧帽筋の合わせめの辺りとか微妙……)
ただ、ボディビルダーの写真を眺めてると、どの筋肉が働いたらこんな箇所にこんな陰影が出るんだ?って分からなくなる写真もちょくちょくある。
加藤先生が著名な彫刻や絵画の上に描かれてる筋肉地図を元絵と並べて見比べても、必ずしも体表の凹凸・陰影と筋肉の流れ・分布がキッチリ一致してるというわけでもなくて。
このズレはどこから出てくるんだろうな~……と、いくつかの理由を考えてみました。
筋肉は腱によってその内部の骨に結節してるので、その骨の隆起が筋肉を通して体表の凹凸にまで影響与えることがある。
この影響は背中とりわけ肩甲骨まわりで顕著なような。(勇次郎さんでお馴染み「鬼の顔」ってヤツ)
広くて薄いお皿みたいな肩甲骨は、体の中では肋骨の上に単に乗っかってるような仕組みで上下左右に結構大きく自由に動き回れる。
それを四方八方から色んな筋肉が引っ張って背中のあの位置に留めてるけど、肩甲骨周りの筋肉群は割と薄くて小さいヤツも少なくないので、それらが折り重なった背中の凹凸は単純に解剖図に出てくる体表の筋肉のまんまにはならない。
いわば土台(肩甲骨)そのものが上がったり下がったり傾いだりする、その影響が上に被ってる筋肉を通して体表まで現れる。
そしてその動き自体が上に被さってる多くの肩甲骨接続の筋肉が収縮・弛緩することによって生まれてくる、その影響も加算されるので更にヤヤコシイ……という訳で二つ目の要因↓
骨格を駆動するための随意筋は、基本的に力めば縮んで短く太くなる。
ポーズによって力んでる箇所が変われば、体表の凹凸・陰影にも当然その影響が出る。
マッスルコントロールに熟練したビルダーだと上腕二頭筋(力こぶ)の短頭側と長頭側で収縮し分けることも出来る(……よね、多分)
僕らが無意識に行動してる時でもそれぞれの筋肉のテンションは常に変化してるし、また同じ動き・同じポーズを取っても、人によって筋肉の使い方は異なっていてそれぞれの個性が出る。
(それ以前にそもそも筋肉の付き方や土台の骨格そのものが人それぞれで違うし)
なので一連の動作の途中部分を静止画でパシャッと切り取った際、その人その時々によって筋肉の表情は違っていて、全く同じってことはひとつとしてない筈。
筋肉と違って脂肪は不随意な軟体。折り曲がった部位の内側からはブニュッと溢れ出るし、オッパイなんかもそうだけど人が動けばタユンタユン、ポヨンポヨン、グニャングニャンとその動作に遅れて付いてくる。
この動きは物理法則に則っていて、脂肪の容量が多いほどまたその粘性が低いほど内側の筋肉とのズレは大きくなる。
じっとしてても弛んでくる脂肪によって体表の陰影は影響されるし、また素早く動けば筋骨と遅れて付いてくる脂肪とのズレは更に大きくなる。
……で、最終的に何が言いたいかというとですね……
……ていうヾ(≧▽≦)ノアッハッハ
ヌードやらボディビルダーやらエロい絡み映像やらアレコレ眺めてても、一瞬一瞬のスチルだとその時々の光源の影響とかもあるしで割と謎な陰影が体表に表れてるケースって少なくないようにも思う訳です。
とすると写実性を高めた表現やタッチを目指すにしても、やたらと解剖学的な正確さを求めるより、ある程度から先は「それらしい」お気持ちが絵に表れてれば表現としてはそっちの方が正義かな~……とね。
だいいち自分が使わせて頂く側に回った時に「このオネーチャンのこの前鋸筋は間違いだ!ヽ(`д´)ノ」……なんてな理由でヌケなくなっちゃったら人生にとってロスの方が大きいですしね(゚∀゚*)アヒャヒャ
この間ちょこまかとコッチのブログに書こうかと思ったこともないではなかったんですが、基本ここには人様にはどうでもいい自前の日記みたいなコトしか書く気なくなってるので、
まぁど~でもイイか~とか、むしろ書かない方が賢明か~……みたいになっちゃって。
で、今回はこの画像をネタに、またちょっとやってみようかなと思います。
前の反省会で上げた5課題
の中から今回はピンポイントで、1.の顔描きと3.のペンタッチについて。
上の画像全体をウチのメインモニター(1920×1080)に表示して眺めてる時、雪江の顔は縦寸が200pxくらいに圧縮表示されてる。
その状態で見た時(A)と、画像の原寸100%で見た時(B)、更に描いてる時のそれより更に数倍大きいサイズで見た時(C)で、印象がそれぞれ違ってくる気がする。
(A)
一番最後に載せた作画時画面の等倍表示(C)は表に曝すことを前提してない拡大表示だから色々キツイキチャナイ所あるのはしゃーないにせよ、
やっぱ大きくなるにつれて伝わるニュアンスは濃くなってくようには思える。
ここに紙媒体と違ってオンライン視聴ならではの問題が出てきます。
描き手の気持ちとしては等倍(B)でご覧いただくことを前提に描いてるんだけど、視聴者がモニターで観る時はページ全体を表示してパッと眺めて(A)すぐにページ捲って次行っちゃう人が一番多そうだから、せっかく表情しっかり描いても伝わらずにスルーされてしまうよなぁと。
特に作画も完全デジタルで、画面を拡大した(C)の感覚だけで描いてしまってると実際に観てる人(A)の印象とのズレが大きくなる心配が。
原寸(B)と縮小(A)で眺めても破綻しないように目配りしながら描かないと。だけどコレが結構手間を食う。
今回のこの画像に関しては、右目の涙をもうちょっと直したい。
縮小表示すると目にかぶり過ぎてて、なんか笑ってるようにも見えてしまってる。
プロの漫画家さんのインタビューや作画動画なんか見ててもペン入れの時は息止めて一発でスーッと引く……みたいな真剣勝負感だしてる人も多いけど、それに比べて僕はシャシャッと短いストロークで投げ出すような描き方をしてしまってるので線がキチャナイ。
ベクターレイヤーで引く主線や輪郭線に関しては、もう描いた後から全頂点をイジッて輪郭や太さを調整し直すくらいの手間を掛けないとダメかも。
……スンマセンすっかり忘れてました。
ちょっとだけ言い訳すると、今課題にしてるひとつに、スピード感をどう表現するかってのがあって。
このコマに関してはスピード線レイヤーも全体に載せてみたんだけど、暗い密室の中で男と女がグチョグチョとヤッてる重たい淫靡さを出すには余計だなって判断して最終的には消しました。
だけどそのグチョグチョ感はしっかり出したくて、特に会長がケツをグリグリ左右に捩じってる描写は大切で、
・ケツ周りへの移動ぼかし
・輪郭線を重ねてブレた感じを強調
・体に乗せた若干の手描きのスピード線
・一部の輪郭線に被せた跳ね線
……なんかをあれこれ使ってる間に、「線を丁寧に綺麗に入れる」っていう大前提がスッ飛んでしまってた。
この、スピード感と、綺麗な線の両立ってのが、なかなか難しくて。
スピード感はある程度勢いのある線の方が出てくるんですが、それをやろうとすると今度は雑さ汚さがタッチに混じり込んでくる。
色んな絵師さんの手法を研究したりしてますが、なかなか上手くいかないですね。
基本的に頭で考えても手の技術が付いてきてないという。
ブログ記事と絡めてTwitterリンク。
【Komifloおすすめ作品】usa先生の「45分で彼を届けて」 https://t.co/qM5kSneBjS #BAVEL— 陰陽俱楽部🔞 (@in_you_club) February 22, 2021
シズル感ちゅーんでしょうか、いや~スゲっすよ。
(……とはいえ真似しようっても一朝一夕に真似られるモノじゃないし、タッチや塗りの違いもあるからそのまま真似て自分の絵が良くなるとも限らんよな~ってのもまた難しいところではあるのだけど……)
描くたびに毎度このくらいの屁理屈は頭の中で付いて回ってるので、それを文章に起こすのはさほど大変じゃないのだけど、
こないなウ●コを垂れ流して良いものか……という迷いもあるので今後もブログでやるかどうかは何とも……。
ほぼどんな作画対象でも検索すれば資料もお手本もハウツーも無尽蔵に手に入る。簡単に手に入り過ぎる弊害をあ~だこ~だ言う声もあろうけど、ごくごくシンプルに無いよりあった方がエエやんけ、と個人的には思う。
あとは当人がやるかやらないかだけの話。
……にも関わらず……
描き上げた時のクオリティがこうも安定しないのは何じゃろうな。
たぶんこれもデフォルメ、記号化に関わってんのかなぁ……。
上手い絵師さんの手の描き方を見ると、関節の表現の仕方や陰影付け、カメラに向かって突き出した指のパース表現など、手の描き方には絵師それぞれのデフォルメや様式美みたいなのが感じられる。
僕はそういうのが持てるほどまだ頭の中にイメージのストックが出来てない、今まで描いた手の絶対数が足りてない。
だから都度都度資料に頼って描こうとするんだけど、そうするとその資料の質やコッチの研究の精度、あと作画時のモチベーションだとかもっと単純に出来不出来の落差で、労力や時間を費やす割に完成度のブレが大きい。
要するにこれまた勉強と経験、両方の不足。
以前やってみた時は結構イイ感じになったと思ったので最近好んで使ってみてるけど、今回のはイマイチ~イマサンくらいで。
チョロッと適当に鉛筆で線描いてエンボス加工すりゃそれらしくなるってモンじゃないよ。もっと丁寧に仕事せぃ!
とまぁなんか長々書いてきたけど、要するにいまだ未熟者なのだと。
なるだけ客観的に自己評価すると、ぼちぼち緑帯に欲目を感じてる黄帯……くらい……かな……
黒帯までの道のりは長い……。
書けば書くほどコレやっぱブログで公開せずに私的なメモ書きにしといた方が良かったかなぁ……と思わなくもないけど、もう始めてしまったし。
同じように絵を描いてるどこかの誰かに「コイツ毎回こんなにメンドクサイこと考えながら描いてんのか~」と呆れられつつ、
もし何かの折に僅かばかりともご参考になれましたら幸甚に存じます。
コマーシャルアートの人物画は、写実リアリズムを原点として、それぞれの絵師ごとの感性に沿って拡散的に広がる記号化ベクトルのどこいらへんに落ち着き先を定めるかによって、個性・作家性が決まってくると言ってもいいかと。
乳首のデフォルメはベースフォルムを円筒で描く派と球形で描く派に二分できそうかな。
僕は乳首の勃起を表現したいと思うので必然的に円筒ベースになってく。
……が、どうも今の描き方は自分で気に食わない。
ピッ、ピッと簡単な線で描いてしまってておざなり感があるというか(これまたペン線画のヘタさも響いてる)
角度や状況によってもっと色んなシルエットや見え方になるだろうに、と自分で描いた乳首を見るたび思う。
要するにフェチが足りない。
その足りないところを悪い意味での記号化によって横着スキップしようとしてるから、こんな半端な出来栄えになる。
もっとオッパイフェチ乳首フェチな他の絵師さんの表現方法を吸収したり、実物研鑽を積みたい物種w。
今年はこんな世情でもあるし、年末年始もまったく関係なく普段どおりにやってようと思ってたのだけど、コッチがそのつもりでもアッチから何だかんだと押しかけてこられるとそうも言ってられませんね。
同人関係も大晦日あたりから不安定な進行になって、年明け早々からストレッサーε=(´へ`)
正直今でもカラーのゲームグラフィックは鉛筆ツール仕上げでイイんじゃね?と思わなくもないけど、
モノクロのマンガの線は、濃淡が使える鉛筆の柔らかさとパキッとした強さが出るペンは一長一短という気がして、
表現の幅を広げるためにも、と考えて『援交少女』1作目からマンガはペンツールで頑張ってる。
……けど、やっぱりまだ慣れない。
ただ、こういうベクターを使った描き方は、ペン画技術のハッチングとは相性が良くない。
ベクターは1本の線を構成するポイントのパラメータをいじって調整する。シャシャシャッと細い線でアミかけにして面の濃淡を表現するハッチングで、個々の線のポイント調整なんてやってらんない訳で。
なので輪郭は基本1本線でクッキリピャーっと引かなきゃいけないのだけど、鉛筆やコンテを使ったデッサンばっかやってた僕はそういうデザイン的な輪郭描法自体が苦手だ。
この先、ハッチングも多用した濃淡重視の劇画・絵画的なタッチに向かうのか、輪郭とベタのハイコントラストなデザイン性の高い絵柄にシフトしてくのか、
(TPOで使いこなすとしても少なくとも1つの作品に対しては)どっちで行くのか絞らなきゃいけない、けど、今はそれを決められずにどっちつかずで描いてる。
多分いまは苦手なデザイン処理まで一緒くたに考えるより、まだしも得意な方の濃淡を効かせた描法を磨いてった方が良さげ。
(実際、陰影については水彩画的な薄墨で塗ってるのだし)
輪郭線は濃淡の中に溶かし込む方向を意識して、細く。
ベクターレイヤーに描くことは続けるとしても、それは頂点編集による線画の修正よりもラティスやアフィンによる領域変形の際の劣化回避を主目的にして。
つまり線画描いてる時はベクターじゃなくラスターに一発勝負でペン入れしてる覚悟で線を引くべし。
画面を自由に拡大・縮小表示できるデジタル作画では、デカいコマでもちっちゃいコマでも、描く時はそのコマや更にその中の特定の箇所を画面いっぱいに広げて描くことができる。
これはすごく便利でデジタルの強みでもあるんだけど、同時に、輪郭線の太さが安定しない一因にもなってて。
小ゴマを広げて描いてそれをページ全体サイズにまで戻してみたら主線が細すぎたり、逆にその感覚を引きずったまま大ゴマにペン入れしたら今度は太すぎたり。
都度都度調整はしてるんだけど、あぁまた線の太さに統一感がないな~……と描き上げたページを眺めるたびにしょっちゅう感じる。
画面を分割して、一方には描き込み箇所を拡大表示してペン入れ、もう一方のウインドウには常にページ全体を表示して、両方を見比べながら描くようにする、とかかなぁ。
なんかちょうど半端なタイミングで年を跨ぎそうですが通常運転で続けていきます。
今回はモノトーンのマンガで、特に黒髪の表現には未だに迷いまくってる。
今は髪を塗り潰しておいて、その中にペンで白く髪の流れを描き込むようなことやってるけど、この方法には全く納得いってない。
それでこのコマでは反射のテカリをより多めに描き加えてみたんだけど、やっぱり美しくない(むしろ雑味が強い)
そういう手法が有効なのは画面全体をハイキーな対比でまとめてる場合で(大暮維人先生とか上條淳士先生とか)、今の僕のように画面全体に対してハーフトーンを多用する塗り方するのであれば、髪だけベタ的に処理したってまとまりに欠ける画面になっちゃいないだろうか。
一本一本の髪が(お互いの静電気かなんかで)ある程度の束にまとまって、その束同士がさらに絡んで、全体の流れがフワッとした髪の量感やフォルムに繋がってく、そういう柔らかさは鉛筆の濃淡を使えれば比較的出しやすいんだけど、
ペンで引ける線は黒ベタだから鉛筆のラフの上に描きだすと「硬い」感じになってしまう……。
この点はペン使いの技術力不足も大きい。
上手い人のペン画は、滑らかなカーブに沿って太さにも自然な強弱が付いていて、そこからブツの柔らかさもちゃんと伝わってくる。
きっとそういう人は、手や肩に不必要な力が入ってなくて、ス~ッと一呼吸で生きた線が引けるんじゃないかなぁ……。
僕はそういう熟練したペン先のコントロール技術がないので、鉛筆ラフの時のまんまにシャッシャッシャッと短い線を連ねるような描き方しか出来ない。
1本の髪をS字状にうねった長いストロークで描くことがまだ出来ない。起点から毛先までを一瞬でビュッと手首を放り投げるような描き方で描いてるから、C字型の単一カーブになってしまいがち。
だから描かれた髪質が硬質になって、針金みたいにも見えてしまう。。。
年の瀬も押し迫った折も折……
Ci-enやFantia, pixivなどの公的?SNSがメインになって、私的な自サイトのブログのうまい使い方が見つからないな~って感じですが、それらのサイトで公開した画像の自己添削というか反省というか、ひとりsessaゴッコみたいなのをヒッソリ書いてみようかな……と思い付きました。
どっちかというと人さまにお見せするより自分が後から読み返して復習するための手引きって感じですかね。
だったら公開でやらずにOneNoteなんかに書き溜めとけば良さげですが、ま、公開しちゃう方が気合入りますし。
そんなこんなで一昨日投稿した『援交少女2』p21コマでの反省点。
好きな絵師さんや漫画家さんの女のコの表情を見ていて「あイイなコレ自分の絵にも取り入れてみたいな」って思うことは良くあるんだけど、
じゃあその人の女性顔を丸ッとお手本にして「真似ぶ」→「学ぶ」方向でしばらく行ってみます?と自問すると、でもココの描き方は僕とは違う路線だしあの角度は別の絵師さんの方がスキ……って、あっちこっちに「あイイな」が散らばる一方で道がさっぱり定まらない。
で、手なりで描いてると元々デッサンとか写実系の似顔絵描いてた手癖がだんだん出てきて劇画チックな顔になってくのを、あぁいかんいかん、と軌道修正を繰り返してる。
元々僕にとって絵は物語を伝えるためのツールであってそれ自体が目的で描いてるんじゃないので、商業価値を薄めてでも芸術を目指そうなんて志はまるで無いんだけど、向かうべき目標が自分で分からんままに描いてるから毎度毎度こうなっちゃうんだよな~。
美人やイケメンって造形的には理想型に収斂してくから、個性と両立させるのがムズいんだよな~。
目鼻立ちの差別化でやってくしかないのだろうけど(髪型は反則w)、キメ顔だけなら何とか描き分けられても喜怒哀楽の表情を付け始めると、タレ目でも怒ればツリ目ぽくもなるし、おちょぼ口でも怒れば大口開けるし。
そのへんの個性や表情の差分をガッと捉える顔描きの勘所ってのが掴めなくて、女性顔の描き方が不安定なのと裏腹の、二重のジレンマになってる。
超長くなりそうなので、2.以降は回を改めて……
絵的な局部修正にせよ、言葉狩り的な単語伏字にせよ、規制が日に日に強まってくる今日この頃でホント萎えますねぇ。
固有名詞は書かなくても分かり切ってるその筆頭の大手配信サイトに対して、僕みたいな泡沫同人が泣こうが喚こうが向こうは痛くも痒くもない訳ですが、
それでも何かしらイヤミのひとつくらいはカマしてやりたい……なんてことは全くこれっぽっちも考えておりません(反語)
既に『援交少女』の時に、黒ノリすだれ(通称ディケイド)修正はまかりならん!と言われて
「以前はモノクロ画はディケイドで通してたじゃねェかよケチ!」
などとゴネたりは一切せず、素直に全ページに渡ってモザ修正を掛け直してありがたくもご委託配信賜った次第でありますが、
その時も内心コレは創作側のワシが本来目指した表現から一歩後退した「劣化版」なのだから、お値段も引き下げるべきなのでは?……と考えたりしました。
でも、それだとわざわざアソコじゃなくて他の委託サイトで購入してくださる方々に対して、更に余分な上乗せ料金を課してるみたいで本末転倒ちゃうんかそれ?……とも思い直して見合わせたんですが。
しかしその後もあそこの検閲は酷くなる一方……ε=(_;
原因はあそこじゃなくて決済会社のプレッシャーだとか色々話は聞きますが(事実他の委託サイトでも表現規制は年々強まってきてるし)、でもあそこからは今日に至るまで、そうした動向に対して抵抗しようだとか、オンラインアダルトのトップに立つ者として防波堤の役割を果たそうだとか、そういう気骨めいたものは一切見えてこないし、むしろ先頭になってホイホイ媚びてるようにすら僕には見えてしまう。
ぶっちゃけ元々金になるからってエロもの販売から事業スタートして、同人もそのノリで後追いから資金力に物を言わせて成果を重ねてやがてトップに君臨し、今や語学にギャンブル投機に通信事業に水族館に終活……まさにおはようからおやすみからゆりかごから墓場まで手掛ける節操のない銭ゲバ国民の生活全般に貢献する大企業におなり遊ばしたあそこは、自社の得にならんと思えばきっとエロオタなんぞ何の遠慮もなく斬って捨てるだろうとも思う次第で。
で、いつ斬って捨てられるかもしれない木っ端エロ創作者のひとりとして改めておイヤミ申し上げますシェー。
他サイトとの差別化を図っておられるあちらサイトに置かれましては資金力に物を言わせてほぼ常時20%オフにてご配信頂いておりますが、ご購入検討時にはその割引分の劣化が生じているディスカウント価格版、とご認識いただければハイ。
本音を言えばあそこに頼らず他サイトでやってければそれに越したことはないんですけど。
でもウチの作風はオタク系・2次系というより、実写AVやエロ劇画なんかもご覧になるお客層への訴求が強く、おそらく購入年齢層も高めと思われるので、非オタ層を含めた広範な宣伝アピールが欠かせなく売上の主軸も圧倒的にあそこになっちゃうのが何とももどかしいところ。
最近はFantiaやBoothをはじめ頒布ルートの多角化や先々の海外展開なんかも少しずつ考えたりはしてるのですが、今のところそっちはまだ成果に繋がってませんし、海外は海外で日本以上に締め付けられる表現も多いし、、、
あ~何でこんなメンドクサイ世界になっちゃったかなぁ……(;´Д`)
またやくたいもないことを書こうとしている。
キッカケは先日リリースされた某作品の完結編なのだけど、今書こうとしてるのは作品そのものに対する興味や感想というより、ポータルサイトのコメントに多数出てくる「ヒロイン何考えてるか分からん」て感想についての所感。
あの感想コメント群を読む以前に作品そのものを読んだ時点で、僕にはあのキャラクター像は作者が意図してそういう人物として描いてるように感じられた(ていうか今でもそうとしか思えない)のだけど、その結果多くの読者がヒロインへの感情移入を阻害されて作品そのものへの評価を下げてしまうというのは、なかなか皮肉の効いたメタ構造になってるようにも思った。
僕が感じた作者の意図もまた仮想幻想に過ぎないのかもしれないけれども、もし「ヒロイン何考えてるか分からん」が「作者何考えてるか分からん」まで敷衍して作品自体への失望まで繋がってしまうとしたら、おそらくはそれは決して作者の本意ではなかろうし、作者と多くの読者の間に断絶というか乖離が生まれてしまっているとすれば作品作りの構想に何らかの計算の狂いがあったことも否定しにくい。
…なんてなことをつらつらと考えていたところに昨日目にしたサキュレント山野さんのCi-enブログ。
Ci-enに投稿しました #Ci_en #痴者の夢 みさくらなんこつ先生の言葉 – サキュレント https://t.co/gHyhAocLKF
— サークルサキュレント/新作12月発売! (@succulent_an) November 16, 2020
これを言葉にすることはかなり危険なことではある。
みさくら先生や山野さんがその危険に気付いてない筈はないし、それも重々ご承知の上で端的な言葉で表されてるからこそ刺さるものになってるのかもしれないけれども……僕は八方美人の根性無しなので、もうちょっとマイルドな表現を探してみる。
世の人の中には、他人の感情や思考について、とても細やかに感じ取ることをする人もいるし、そうした「目に見えない」事象には頓着拘泥しないでどんどん我が道を進み開いてくタイプもいる。
それはどっちが良い悪いではなく、個々の性格と自我の在り方としか言いようがない。
さらについでに言えば、その感度は鈍い鋭いの一次元でなくもっと多元的で、あることにはとてもセンシティブな人間が別のことには極めて鈍感だったりすることはよくある。人の心の感覚センサーの分布マップは指紋のようにひとりひとり違う。
SNS等で問題を起こすタイプの人にはこの分布マップがかなりエキセントリックに偏ってる人が多いようにも見えて、それが究極的なところまで行き着いてしまうとアニメ会社にガソリンぶち撒けるような鬼畜にまで至るのかもしれない。
話を戻そう。
人同士のコミュニケーションにおける感覚センサーがひとりひとりで違うということは、どんな人同士でも完全な意思の疎通というのはありえないということでもある。
出張ってるところと引っ込んでるところが割り合いと噛み合うタイプ同士もあれば、それが全くと言っていいほど合わなくて、わずかな接触点でしか意思疎通が叶わない人同士というのも往々にしてある。
「鋭い鈍い」という基準でいえば、これはマップの解像度ってことになるのかな。砂つぶのように細かい起伏でマップが出来てる(そういう領域が多い)人と、岩山のように大胆で荒々しい起伏の人が接触すると、それぞれがお互いを異星人みたいにも感じてしまう。
砂粒は時に自らの形を変えても相手の岩盤の中まで浸透しようと試みたりもするのだろうけど、岩盤にしてみればそんなトコまでチマチマ流れ入り込んでくる砂粒はうざったくてキモチワルイと振り払ってしまいたくなったりもする訳で。
もっとも、それなら砂粒同士なら上手く噛み合うかといえば、これまたそうとばかりもいかない。
一見互いに、あ、この人なら分かり合える、と思っても、砂が混ざり合うに連れて徐々に些細なお互いの差異を意識するようになって、それは時には岩盤タイプとの隙間以上に近くて遠いからこそしんどかったり、更には憎悪的なまでにキモチワルイ肌触りへと変容していくこともある。
斯くも人同士というものはヤヤコシイ。
で、やっとこさ冒頭に戻ってあのヒロイン像の話。
一般的な表現で言えば「流され系」。精神の内面が希薄で、それが故に肉体的な快楽を強く縁(よすが)にしてしまい、オサセ・サセ子の道へと突き進んでしまうニンフォマニアック。割と現実的にその界隈には少なからず実在するタイプのようにも感じられて、ああそうかこのコの行き着く場所はココかぁ……とスッと思えたのだけれども、それは別段僕が「鋭い」からではなくて、あるいは他人を昆虫か何かみたいに観察箱の外から眺めてる、かなり歪な感覚センサーマップの持ち主であるっていうことなのかもしれない。
一方で作中に入り込んで、現実に周囲にいる人たちと同様の感覚で作中人物と関わろうとした時に「コイツ何考えてるかサッパリ分からん」「こんな女全然魅力無ェ」「ヤリマンになろうがビッチ化しようがオマエなんか知ったことか」みたいになる人の方が、あるいは繊細で「鋭い」のかもしれないし。
まあもっとシンプルに「僕の欲望対象としてのカワイイを満たしてくれない女には興味が湧かない、ヌケない」て話なのかもなぁとも思えるけれども。そこはチンポ握りながらエロコンテンツ読んでる者として分からなくもなくて、あの作品がそういう用途にとって「実用的」であったかというと、その仕事は1作目で既に終えてたってコトなのだろうな、という一種の諦念みたいな感覚は自分にもある。あの作品に感じた面白さや興味は、それとはちょっとズレたところにあるとでもいうか。
さてさて。
じゃあ曲がりなりにも同人活動なんぞをしている我が身に多少なりともフィードバックして眺めるとコレどういうコトなんだ?……とも考えてみると。
どちらにしても僕自身が何か作品をものそうとすれば、こういう長文をダラダラと書き連ねるヤツの頭の中から出てくるのは避けようがないので、それが多くの人にとって面白いものになるかというのはかなり難題だなぁ……とは思わざるを得ないトホホ。
畢竟そこのところは、ひたすら「技」を磨くしかないのかなぁ……と頭を抱えたりはする。
今まで何度か「お前は考え過ぎだ」て指摘されたことあるんですけどね、でも世間には、僕より何十歩も何百歩も先まで踏み入って詳細な探索マップを作り上げてるなぁと感じられる方は、好きな作家や、いやさ身の回りの友人知人の中にもいっぱいおられるのですよ。
僕は元々はそちらの感度がかなり悪くて、何でこうも自分は周囲から疎まれるのだろう……と子供心に分からなくて、それをずっと考えてたのが思春期の頃だったような。つまりは先天的な素材としては「鈍い」センサーを何とか補間しようと、ちょっと「鋭い」フリをしてみせたがる、後天的に模造した紛い物だ。
僕なんか彼らの足元にも及ばない門前の小僧みたいなモンだとも常々感じる訳で、その程度のモノに向かって「考え過ぎ」などと言われてしまうと正直鼻白んでしまうというか、しかしこれこのまま進むと、ますます「僕はエロいコトしかやりたくない」の夢からは遠ざかっていってしまうのかなぁ……とビビったりもする。
でもやめない。鈍いから🤑
Twitterのタイムライン眺めてると、同人サークルの中にも結構やってらっしゃる方おられますね~。
表稼業の方でシステムトレーディング関連の開発業務に関わったことがあって、うまく行けば自分でも儲かるんじゃね?……てそこそこ勉強してチビチビだけど自己投資もやってみたコトあるんですが。。。
株式から始まって、信用取引、FX、あと先物オプションもちょっとだけやりました。
何だかんだでトータル5~6年はやったかなぁ。。。結果は……ほぼトントン。増えもせず減りもせず。話のネタとしては一番つまんねーオチでど~もスイマセン。
で、まぁそんでも一応その程度はやりましたって経験踏まえて個人的な見方ですけど、やっぱアレ向き不向きあるとは思います。
こう言っちゃ何だけど割とチョコマカと小狡く目端は効くタイプだから向いてんじゃない?って自分ではちょっとだけ変な夢抱いて始めたのですが、結果的に見れば僕にはムリでした。
もう四六時中アタマのどっかにある訳ですよ。
仕事してても、本やマンガ読んでても、ニュース見てもメシ食っても風呂入っても寝ても覚めても。
映画館だってコンサートだって終わったら即スマホの電源入れ直して相場チェックしたりとか。
忘れてるのはオナニーとセックスしてる時くらいなもんで。
当時はまだ同人やってなかったけど、ぶっちゃけ創作活動とは相性最悪だと感じます。
両方股にかけてやってたら病む自信あります。
その間投資で財を成した勝ち組の人たちにも何人かお会いしたことあって、同じ日本にこんなトコあんの?ってエントランスの廊下にギリシャ彫刻みたいなのが並んだ億ションとかも入ったコトありましたが、
皆さん安いフィクションに出てくるみたいな銭ゲバでもイヤな人でもない、話せばごくごく普通の感覚でお話ししてくださるんですが、それでもドコかこう……ヒトとしてのタイプが違うんだろうな~って感じる部分はありましたですね。
それで、あぁコリャ俺にはムリだ~……てなって、資金も全額引き上げてスッパリ撤退しました。
やめた時は数年にわたって頭の上に乗っかってた漬物石みたいなのがボロンと落っこちて見上げると青空が見えましたねw
運用資金そのものは殆ど痛まずに済みましたし、まぁ世界を広げるのに良い勉強させてもらったと思ってますが、
セミナーみたいなのも結構行ったし、関連書籍やら資料やら読み込んだり、自動化やシステム運用のためのプログラミングしたり、そのへんに掛かったコスト考えると、学んだコトと比べて見合う「投資」だったかは……ちょっとアレですね。。。
あの数年の時間と労力コストを別の方面、たとえばエロ創作に向けてれば……というムニャムニャした思いも今となっては無いでは無い。。。
ゆきよし真水さんが昨晩、
ニーズ無視すると売れんくなる例#竿役イケメン化 pic.twitter.com/8p4aiXqiOP
— ゆきよし真水 (@hitonohundoshi) October 23, 2020
このあたりを皮切りに語られてる一連のツイートがなかなか興味深くてチョロッと自分でも呟いたりしてみたんですが、これはツイ連投するよりブログネタかなぁ、と思ったのでザラッと書いて投げてみます。
食い扶持を稼ぐプロ同人(って定義矛盾を感じなくも無いけどw)の場合、自分の創作意欲と読者のニーズがぶつかったらある程度折れなきゃならない場面ってのは増えてくるだろうな……とは思います。
そこで我を抑えるストイックさや、より多くの読者の支持に応えようと色んな作風や物語づくりにチャレンジされてるトップクラスの同人作家の方々の姿勢には(その中には、新たな需要を開拓すること自体を創作意欲の原動力にされてるようにお見受けする作家さんもおられて)頭が下がりこそすれ、噛みつく気持ちは何一つありませんです。
だけどその一方で、そういうスタイルで自分は同人活動やれるだろうか……と考えると、僕の場合たぶんそうなったら創作が嫌になって鬱って辞めちゃうだろうな~、という情景がもう頭の中にありありと浮かんでくる。
創りたいモンを作りたいように造りたいから同人始めたのに、需要を探して我が身を寄せてく労力を考えなきゃならなくなったら、それはお仕事になっちゃう。お仕事がキライだから僕はいつも「エロいコトしかやりたくない」って呟き続けてるワケで。
創作活動やってる以上、売れたくないワケがない。
だけど売れるために自分の方を売れ線に寄せてくのはゴメン。
……って要するに、我儘勝手、傲岸不遜なんですよ。
エエもう十分自覚してます。
その上で、ちょっとでも売れるための戦略……それを「マーケティング」って言葉で表すなら、ゆきよしさんが仰るような「より多くのニーズに寄せてく」方向性とは違う、もうひとつのマーケティングを探したいって気持ちはかねがね抱えていて。
ネットのおかげで、創作活動を世間に向けて発信していく敷居はメチャクチャ下がってる時代だと思います。
(まぁそのぶん埋もれるリスクも増えてる訳ですが)
仮に食ってくためにコンスタントに千人のお客が必要だとして、マーケットが一万人なら10人に1人に受け入れてもらう必要があるけど、百万人なら0.1%、一千万人なら10000人に1人の「同好の士」に届けることが出来ればいい。
いわゆるロングテールってヤツすかね。
そのために今ひとまず考え付く簡単なコト。
「色んな媒体に、こんなん創りました~ってどんどん公開してく」
「サンプルの出し惜しみはしない」
「お互い認め合える創作者どうしの互助的バイラル効果」
「翻訳版出せばマーケットは億単位にまで広がるかもしれない」
……とかとか。
人口密度の濃いターゲットゾーンに作品の内容を寄せてくんじゃなくて、この作品がたとえニッチでもより広く多くの読者層のお手元まで届くように伝搬エリアを拡大させるにはどうしたらいい?……って方向性で考えるマーケティング。
本ソレ!!!ψ(`∇´)ψ
— 陰陽俱楽部🔞 (@in_you_club) October 24, 2020
リンク先ティザーサイトにて、冒頭の11ページを無料公開しています。
是非ともご一読ください!(^^)ノ
サイト立ち上げと冒頭部分公開に向けて、タイトルページを少し描き直しました。
以前のタイトルページでは左右の二人、優里恵チャンと穂香チャンに比べて、真ん中の雪江チャンの出来に全く満足できてなかったんですよね。
「センターが一番かわいくないって、そんなどこかのアイドルグループみたいな……(ゲフンゲフン」
顔は全面的に描き直し、下半身中心にプロポーションやデッサンも若干修正。
まだすっかり納得ってところまでは到達できてませんが、ヒロインとして、何とかお客さんに興味を持っていただけるレベルには届いたかなぁ……どうかなぁ……。
それから、タイトルの方ももう一度見直しました。
以前のタイトルだと『援交少女』の「続編」の「第1話」……って、何とも分かりにくい!
メインタイトルはシンプルに『援交少女2』とし、
サブタイトルの方も、今回の内容にマッチするように『いけにえの少女たち』にしました。
(少女……なのか……?
まぁイイよね、新入生のJDだからハタチ前だし)
公開済みページの続きは Ci-en, Fantia の有料コースにて連載し、
完成したら作品としてまとめて、委託サイト各所にてオンライン発売の予定です。
真っ先に連載を見られるCi-en, Fantia の有料コースは月々たったの100円!
多くの方のご登録をお待ちいたしております~(^^)ノ
昨日こんなツイートをしたのですが、
アキバの古ビルの一室に数十人詰め込まれ、数人ずつグループになって好きな同人エロゲを作りなさいと言われる夢を見た。おはようございます。
— 陰陽俱楽部🔞 (@in_you_club) September 28, 2020
今朝はその夢の続きというか、たぶんその作ったゲームの中に入ってる夢を見ました。
ただ、、、
誠に残念なことにエロゲやなくてホラーゲームやったんですわ。
パンデミックもの、ちょっとゾンビの乗り入ってる。
この病原菌は、人同士が至近距離に近づくと突然発症して凶暴になりお互いが敵意剥き出しで殺し合いになる。
ところが罹患者であっても他人との距離が臨界域から離れるとスッと症状が治まって、何でさっきまであんなに腹立って憎んで殺しにかかろうとしてたのかお互いサッパリ分からず、むしろ相手を傷つけてしまった自己嫌悪にさいなまれて、泣きながら謝罪し合う。
だけど物理的距離が近いのが発症のトリガーになってる訳だから、家庭内とか、ご近所とか、世界中で地域レベルのジェノサイド祭りになってて、さぁその中でどうやって生き延びましょうか、というゲーム。
何せ近づくと狂うのでチームやパーティ組んで動けない。誰も信じられない疑心暗鬼の中で、個々のプレイヤーは完全孤立した孤独なサバイバルを強いられる。
パンを咥えて走りながら角を曲がったトコでドンッ!と誰かにぶつかると、そこで愛じゃなくて殺し合いが始まる訳です。
発狂しているときの猛り狂った憤怒と、憑き物が落ちた時・素に戻った時の落ち込みのギャップでプレイしてるとフラフラになってくるんだけど、
面白いことに(面白くないけど)、みんな段々と怒り狂ってる時の自分の方に適応して、普段の性格や思考回路も凶暴化してくのね。
で、夢でありがちな一人称のトラバーユ現象が起こってて、そんな具合に邪悪になっていくキャラクターの内面に僕自身も次々憑依して移り変わっていくんだけど(このあたりでゲーム内のキャラとそれをプレイしてる側のパーソナリティの癒着も起こってる)、そのへんまで来て「あ、コレ夢だ」って気が付いて、「このまま追っかけてたら凄ぇ悪夢になって寝覚め悪くなるヤツだコレ、やめよう、もう起きよう」って意識して目を覚まして、何とか逃れた。
起きてから考えてみると、コロナとかソーシャルディスタンスとか、ツイッターはじめ各所でのイズム対立の罵り合い・つばぜり合いとか、リアルでの見聞が結構露骨に反映されてる夢だったなぁ、と。
BGMならこのへんですかね。
フォロー&ごひいきの程、どうぞよろしくお願い致しますm(_ _)m
改めまして。
自サイトのブログ更新は長らくすっかりご無沙汰になってしまい、申し訳ございませんでしたm(_ _;)m
各種SNSやらパトロンサイトやらが充実した昨今、ホームページはともかく最早ローカルサイト内にブログを設置する意義がどれくらいあるのか……という気持ちはなくもないのですよね。
それで当ブログでもここ最近は、もっぱらCi-enの記事をiframe引用してお茶を濁してたのですが、
先日Ci-enの中の方でコーディングの変更があったらしく、外部からのiframe表示が年齢確認レイヤーに覆われてどうやっても突破できなくなってしまいました。
もういっそこちらのブログは閉じてしまおうか……でもCi-enの記事は広報活動的な意味合いが大きいし実質DLsiteの一部ということで書きにくい話題もあるよな~
……としばし悩んでおりましたが。
ちょうどその頃お友達のHOさんから
「陰陽さんはCi-en以外にもターゲットエリアを広げてみては?」
……みたいなアドバイスを頂きまして、
言われてみればCi-en=DLsiteってノベルゲーやマンガよりもRPGやアクションゲー方面が強くて、
ウチの作品のDL数はだいたいx2くらいの比率で FANZA > DLsite ですし、
コアなオタクファンに支えられたDLsite、実写エロなど幅広い顧客層に訴求するFANZA、というそれぞれの特色からして、
Ci-enでの広報活動にウチの作風と媒体のズレみたいなのは、以前から感じてない訳ではありませんでした。
加えてそれ以前の問題として、これをきっかけに陰陽さんは考えました。
そもそもワシ自身、本当に「オタク」なのか?
顧客としてオタク層を意識した作品作りしてるのか……?
そうしたら、なんかちょっとスコーンと考えの天井が抜けたような感覚がありまして。
もうフ●●ス書院文庫やFAプ●みたいな
「昭和のオッサン臭い作風の、非イマドキ同人エロサークル」
でイイやオレ、みたいなアハハハハハハ( ゚∀゚)~
とは言うもののオンライン中心でマンガやらゲームやらの同人活動をしようとすれば、
FANZA, DLsiteを始めどのルートにおいてもオタク層の支え無しでは成り立ちません。
劇画じみた野暮ったい絵柄は直そうとしても一朝一夕に直せるモンじゃないし、
官能小説的な泥臭いストーリーがネットの需要の本流から外れてようとそこは曲げるワケにいかない、
それでもひとまずやれること。
とにかく露出媒体をもっと広げてみよう!
……ってな訳でタイトルのとおりFantiaとBOOTHにお店をひらいてみましたよ~……っとなりました次第です。
BOOTH=pixivの方は、最初はCi-en, Fantiaと合わせてFANBOXの方を充実させ、パトロンサイト三銃士みたいなことを考えてたんですが、
FANBOXは有料プランしか設置できないし、さらにその有料プランも一旦登録するとそれ以前の過去記事やその添付ファイルも全て閲覧可能になる、という仕様のため、連載マンガのプラットホームとしては使いにくい。
ということで、pixivの方はpixiv + BOOTHという体勢で行くことにしました。
これでTwitter、pixiv、Ci-en、Fantia、と……媒体が多くなってくると運用手間も増えてしまうのは痛し痒しですが、
同人活動には作品制作の次にしっかりした広報活動が大切!
これから各所ガンバって更新していきますので
(といっても多分パトロンサイトの記事はどこもほぼ共通になるでしょうが)
どうぞよろしくお願いいたします。
あと最後に。
広報記事は各パトロンサイトで書くとなると、じゃあこのブログはどうするのか?……という話ですが、
ココはもう広報とかあんま気にせずに、
面白かったマンガや映画やアニメの感想だとか、
今日こんなオモロイことがあったよ~みたいなゆる~いネタを中心に、
Twitterじゃ書き切れない垂れ流しダベリングの場所にしようかな~……と思ってます。