またやくたいもないことを書こうとしている。
キッカケは先日リリースされた某作品の完結編なのだけど、今書こうとしてるのは作品そのものに対する興味や感想というより、ポータルサイトのコメントに多数出てくる「ヒロイン何考えてるか分からん」て感想についての所感。
あの感想コメント群を読む以前に作品そのものを読んだ時点で、僕にはあのキャラクター像は作者が意図してそういう人物として描いてるように感じられた(ていうか今でもそうとしか思えない)のだけど、その結果多くの読者がヒロインへの感情移入を阻害されて作品そのものへの評価を下げてしまうというのは、なかなか皮肉の効いたメタ構造になってるようにも思った。
僕が感じた作者の意図もまた仮想幻想に過ぎないのかもしれないけれども、もし「ヒロイン何考えてるか分からん」が「作者何考えてるか分からん」まで敷衍して作品自体への失望まで繋がってしまうとしたら、おそらくはそれは決して作者の本意ではなかろうし、作者と多くの読者の間に断絶というか乖離が生まれてしまっているとすれば作品作りの構想に何らかの計算の狂いがあったことも否定しにくい。
…なんてなことをつらつらと考えていたところに昨日目にしたサキュレント山野さんのCi-enブログ。
これを言葉にすることはかなり危険なことではある。
みさくら先生や山野さんがその危険に気付いてない筈はないし、それも重々ご承知の上で端的な言葉で表されてるからこそ刺さるものになってるのかもしれないけれども……僕は八方美人の根性無しなので、もうちょっとマイルドな表現を探してみる。
世の人の中には、他人の感情や思考について、とても細やかに感じ取ることをする人もいるし、そうした「目に見えない」事象には頓着拘泥しないでどんどん我が道を進み開いてくタイプもいる。
それはどっちが良い悪いではなく、個々の性格と自我の在り方としか言いようがない。
さらについでに言えば、その感度は鈍い鋭いの一次元でなくもっと多元的で、あることにはとてもセンシティブな人間が別のことには極めて鈍感だったりすることはよくある。人の心の感覚センサーの分布マップは指紋のようにひとりひとり違う。
SNS等で問題を起こすタイプの人にはこの分布マップがかなりエキセントリックに偏ってる人が多いようにも見えて、それが究極的なところまで行き着いてしまうとアニメ会社にガソリンぶち撒けるような鬼畜にまで至るのかもしれない。
話を戻そう。
人同士のコミュニケーションにおける感覚センサーがひとりひとりで違うということは、どんな人同士でも完全な意思の疎通というのはありえないということでもある。
出張ってるところと引っ込んでるところが割り合いと噛み合うタイプ同士もあれば、それが全くと言っていいほど合わなくて、わずかな接触点でしか意思疎通が叶わない人同士というのも往々にしてある。
「鋭い鈍い」という基準でいえば、これはマップの解像度ってことになるのかな。砂つぶのように細かい起伏でマップが出来てる(そういう領域が多い)人と、岩山のように大胆で荒々しい起伏の人が接触すると、それぞれがお互いを異星人みたいにも感じてしまう。
砂粒は時に自らの形を変えても相手の岩盤の中まで浸透しようと試みたりもするのだろうけど、岩盤にしてみればそんなトコまでチマチマ流れ入り込んでくる砂粒はうざったくてキモチワルイと振り払ってしまいたくなったりもする訳で。
もっとも、それなら砂粒同士なら上手く噛み合うかといえば、これまたそうとばかりもいかない。
一見互いに、あ、この人なら分かり合える、と思っても、砂が混ざり合うに連れて徐々に些細なお互いの差異を意識するようになって、それは時には岩盤タイプとの隙間以上に近くて遠いからこそしんどかったり、更には憎悪的なまでにキモチワルイ肌触りへと変容していくこともある。
斯くも人同士というものはヤヤコシイ。
で、やっとこさ冒頭に戻ってあのヒロイン像の話。
一般的な表現で言えば「流され系」。精神の内面が希薄で、それが故に肉体的な快楽を強く縁(よすが)にしてしまい、オサセ・サセ子の道へと突き進んでしまうニンフォマニアック。割と現実的にその界隈には少なからず実在するタイプのようにも感じられて、ああそうかこのコの行き着く場所はココかぁ……とスッと思えたのだけれども、それは別段僕が「鋭い」からではなくて、あるいは他人を昆虫か何かみたいに観察箱の外から眺めてる、かなり歪な感覚センサーマップの持ち主であるっていうことなのかもしれない。
一方で作中に入り込んで、現実に周囲にいる人たちと同様の感覚で作中人物と関わろうとした時に「コイツ何考えてるかサッパリ分からん」「こんな女全然魅力無ェ」「ヤリマンになろうがビッチ化しようがオマエなんか知ったことか」みたいになる人の方が、あるいは繊細で「鋭い」のかもしれないし。
まあもっとシンプルに「僕の欲望対象としてのカワイイを満たしてくれない女には興味が湧かない、ヌケない」て話なのかもなぁとも思えるけれども。そこはチンポ握りながらエロコンテンツ読んでる者として分からなくもなくて、あの作品がそういう用途にとって「実用的」であったかというと、その仕事は1作目で既に終えてたってコトなのだろうな、という一種の諦念みたいな感覚は自分にもある。あの作品に感じた面白さや興味は、それとはちょっとズレたところにあるとでもいうか。
さてさて。
じゃあ曲がりなりにも同人活動なんぞをしている我が身に多少なりともフィードバックして眺めるとコレどういうコトなんだ?……とも考えてみると。
どちらにしても僕自身が何か作品をものそうとすれば、こういう長文をダラダラと書き連ねるヤツの頭の中から出てくるのは避けようがないので、それが多くの人にとって面白いものになるかというのはかなり難題だなぁ……とは思わざるを得ないトホホ。
畢竟そこのところは、ひたすら「技」を磨くしかないのかなぁ……と頭を抱えたりはする。
今まで何度か「お前は考え過ぎだ」て指摘されたことあるんですけどね、でも世間には、僕より何十歩も何百歩も先まで踏み入って詳細な探索マップを作り上げてるなぁと感じられる方は、好きな作家や、いやさ身の回りの友人知人の中にもいっぱいおられるのですよ。
僕は元々はそちらの感度がかなり悪くて、何でこうも自分は周囲から疎まれるのだろう……と子供心に分からなくて、それをずっと考えてたのが思春期の頃だったような。つまりは先天的な素材としては「鈍い」センサーを何とか補間しようと、ちょっと「鋭い」フリをしてみせたがる、後天的に模造した紛い物だ。
僕なんか彼らの足元にも及ばない門前の小僧みたいなモンだとも常々感じる訳で、その程度のモノに向かって「考え過ぎ」などと言われてしまうと正直鼻白んでしまうというか、しかしこれこのまま進むと、ますます「僕はエロいコトしかやりたくない」の夢からは遠ざかっていってしまうのかなぁ……とビビったりもする。
でもやめない。鈍いから🤑