山雲さんの『クローゼット』シリーズ完結編、エンディングが随分と物議を醸してますね~。。。
1→0→2とシリーズが進むにつれて作者さんの興味が、エロを描くことからストーリーを描くことに段々シフトしていったのかなぁ、とは感じました。
『クローゼット』は読み切り短編のオカズ作品31p、それがヒットしたことで世界観を膨らませて描いた前日譚『クローゼット0』が63p、、、ここまでは作品の狙いとページ数がバランスしてたんだけど、更に踏み込んだストーリーを描きたくなった結果長編マンガ並みにページ数が必要になってしまった物語を、演出の力技で86pに詰め込んで……でもやっぱり「そこんとこもっとkwsk」が各所に残ってしまった、的な。
特にエンディングに対しての読者の反応は、オチそのものへの好き嫌いの話と、その演出の持っていき方に対する賛否の話が、ごちゃ混ぜになってるような印象を受けます。
まずはオチの好き嫌いの話。
僕の口癖ですが、NTRは百人いたら百通りのNTRがあります。
それを様々なファクターで二分して、あなたはどっち?と問うと、半々とは言わなくてもだいたい嗜好はバラけます。
以前、陰陽倶楽部を立ち上げて間無しの頃に
「NTRを大まかに分類してみる(3)完堕ち←→堕ちない」
「NTRを大まかに分類してみる(4)バレあり←→バレなし」
ていうTwitterアンケートやりました。票数が多くないので統計的な確度は高くないけど、それぞれご覧のとおり、どの方向にもそれなりに需要はあります。
【投票募集】NTR(寝取られ)好きの方 エンディング、お好きなのはどっち?
— 陰陽倶楽部 (@in_you_club) 2015, 11月 6
【投票募集 第二弾】NTR(寝取られ)好きの方 エンディング、お好きなのはどっち? — 陰陽倶楽部@準備号 (@in_you_club) 2015, 11月 19
マンガのようなシングルエンドのメディアだと、作者がどのエンドを選択しても納得してくれない読者は出ざるを得ません。だから「最高でした!」も「何でやねん!」もエンディングに対する反応自体は等価で、作者はそこは自分の好きなルートを選んで構わない、反応の全体数だけが作品のポテンシャルに対する評価、くらいに僕は考えてます。
自分で作品リリースしてみたから余計によく分かるけど、公開してから1週間で各販売サイト合計DL数6000超て、間違いなくオンライン同人作家としては頂点に位置するおヒトですやん。デビュー3作で。羨ましい妬ましいw
続いて演出について。
持ち上げておいてスコーンと落とすオチは映画や短編マンガとしては常套手段だと思うんですが、本作はそれをページ数に納めるための演出として使用し、その間のヒロインの心情等の説明は思い切ってバサッと抜き落とした。別の言い方すると補完は読み手に丸投げにした。
でもそうなると読み手ごとに解釈も百人百様、結果として意見百出状態になる。。。
しかも名画座でヌーベルバーグだのフェリーニだのって時代じゃない、見た人は即座に好き勝手に自分の感想をネットに披瀝できるから、その感想の総体は玉石混淆のカオス状態を形成する。今の状態はそんな感じに見えます。
本作のエンディングの端折り方が演出手法として成立してるか、あるいはスッ飛ばし過ぎで付いていけないとするか、その線引きは微妙…とても微妙なところだとは感じました。
ぶっちゃけそこは個々の読み手の想像力にも依存してくるので、この大胆な省略の間を自分で埋めてりんかやたかしの心情を妄想膨らませて楽しめましたよ~って人もいれば
(そう、私だ<( ̄^ ̄)>)、「何これキッショ訳わからんわ」と放り投げる人、あるいはかなりブッ飛んだ独自解釈で埋めちゃう人も出てくるのは、まぁしょーがないでしょうね~。
登場人物に対して思い入れが深まれば深まるほどエグいエンドよりハッピーエンドを望むのが人の性ですから、あのエンディングがNoだって人にとっては、りんかちゃんやたかしはそれだけ魅力あるキャラだったってことじゃないでしょうか?
ただそういったカオス状況まで見越した上での戦略的演出ならばそれはそれでアリなんでしょうけど、山雲さんがそこまで狙ってこのエンディングに持ってったのかどうか、それが僕には正直掴みきれなくて、だから、やっぱり、微妙だな~…という感想になっちゃう。
作品内容そのものに対する個人的な好き嫌いはというと、大好きっす(^o^) ちゃんと筋の通った良いNTR話だったなぁと思ってます。
以下は僕なりの解釈。作者さんの意図に対して、それほど的外れな読み方はしてないんじゃないかなぁ…とは思ってる。
昔から「ヘンタイなのは医者と坊主と教師」なんて言われるように、表向き真面目でお硬そうな人間ほど、頭の中にはドスケベが渦巻いてたりする。知的な人ほど想像力も豊かで、それが性欲と結びつけば妄想はどんどん広がります。
りんかは正にそういう素養を持ってるタイプの女だったというのがこの『クローゼット2』の冒頭で「種明かし」されるわけだけど、一番最初の『クローゼット』を描きだした当初はまだそこまでは設定が固まってなかったのかもしれない。お話を膨らませてく間に山雲さんの中で、彼女の内面がそんなふうに埋まっていったんじゃないかなぁ。
先輩はその素養の培養を巧みにやった訳ですよね。そういう妄想はうまく育てれば育てるほど、火に油を注ぐように大きくなっていく。自分の中だけで暖めていたエロいファンタジーがどんどん現実のスケベになって実現していくのに、りんかはきっと物凄く興奮させられてたんじゃないかと思う。
たかしの立場からすると、『クローゼット2』はそうやって膨らんでいくりんかの中のエロスとの競争で、彼女に追いついて腕を掴んで引き止めてやれるかどうか、というのがテーマだった。
そして結果的に、彼は間に合わなかった。
たかしがりんかに気持ちを打ち明けて結ばれた時には、もうりんかの中に育ってしまったエロスは、彼に対する彼女の想いを持ってしても押し止められないくらいに肥大化してしまってた。
シンプルに俗っぽく言っちゃえば、もう童貞上がりのヘタクソなエッチじゃカラダが疼いて我慢できないってくらい開発されちゃってた。
でもそういうのを「ビッチ」て単語で括っちゃうのは、個人的にはあんま好きじゃなくて。この言葉使うのもやっぱり同様にツマンナイんだけども、強いて言えば依存症=病気の一種でしょう。アルコール依存や薬物中毒、パチンコ中毒、買い物依存癖、そういうのと同じ。セクサホリック。理性や倫理心ではコントロールが効かない。カラダという以上にココロの問題。
そういうふうに、もうりんかは先輩の手で変えられてしまってた。
だからエンディングのりんかのたかしへの言葉は、決して計算づくで彼を取り込もうとしてるんでもなければ、彼を愚弄しようとしてる訳でもない。あれが彼女のたかしに対する本心だし、同時にオマンコの中で動いてるチンポが気持ちよくて堪らないっていうのも偽りない彼女なんです。
依存症は一度かかったら生涯「治る」ことは無いと言われます。一生自分の中に湧き上がってくる欲求と闘い続けるしかないのだそうで、だから「寛解してる」とは言われても「完治した」とは言われない。鎮静期と亢進期を繰り返す。りんかのように。
覆水盆に返らず。卵から孵ってしまったヒナを、もう一度卵の中に戻すことは決して出来ない。きっとあのりんかの姿を見た時たかしにも直感的にそれが分かったから、彼は泣きながらりんかにああ答えるしかなかった。そういう切ないお話だと思う。。。
よくあると言われればよくある話です。だけど『クローゼット』は元々最初から決して奇をてらう作りの作風じゃなかったし、こういうNTRの王道をいくお話でイイじゃん、と僕は思ってます。
あのエンディングの後、あの三人がどういう関係を築いていくのかは、正直僕には全く分かりません。ですが一つだけ確信が持てるのは、相手がたかしであれ先輩であれ、あるいはまったく別の誰かであれ、きっとりんかは時が経つほどあそこから更にスケベになります。そのことがこの先の彼女にとって幸せに繋がるか不幸に繋がるか、そこの未来もまた全く不透明ですが。
オチの構造としては山文京伝先生のデビュー作『緋色の刻』の裏側版、ていう印象です。(他作品のネタバレにつき伏字にします。テキスト選択して反転表示してご覧ください)
りんかとたかしの未来も(もし二人がこの先も付き合い続けていくのならば)それと同じ荊道です。
…ていうようなことを丁寧に描こうとすると、やっぱりあのページ数じゃ足りなかったんだと思います。結果的に『クローゼット0』でりんかを陥れた友達のエピソードなどは未消化のまま、ダイジェストのような印象も与える駆け足展開になってしまった。
でも現実的に、作り手にはしばしばやりたい事とやれる事の間に埋めきれないギャップがあって、ブログ拝見すると山雲さんは今のご自身に出来る限界まで力一杯頑張られたんだなぁ、と感じました。
お仕事の都合やモチベーションなど色々大変ではあるのでしょうが、間違いなくトップクラスの質と人気を備えた方なので、またエロい新作を読ませて頂きたいものです。