2年前に『ご主人さまにあ』に出会って以来、陰陽はゆにっとちーずの大ファンでして(*^^*)
本作『ニルハナ』も制作中からずっとものすごく期待し、憚りながら応援もしたいって気持ちで眺めておりましたし、
完成した作品をプレイし終わった現在も、ゆにっとちーずの、山野さん&うみのさんコンビの、長年の歩みがそれはもう見事としか表現しようのないレベルで結晶したこの最終作を、ひとりでも多くの人に知って貰いたいプレイして貰いたい、そういう気持ちで現在このブログを書いているのですけれども。。。
その一方でこれから書く内容が、果たしてこの作品&サークルにとっての応援になるんだろうか、という不安もあったり。。。
だけど作品の(それはもう痛いほどの)真摯さに対してこちらも全力で誠実であろうと考えまして、(時にそれがゆにっとちーずさんと陰陽の双方にとってプラスとばかりは言えない内容であっても)以下すべて思いの限り率直に書いてみます。
まず初っ端でネトラレサークルとしての禊ぎを済ませてしまおう。
この作品は、いわゆるNTRモノ、ではありません。
いや、NTR者の琴線をくすぐるようなシチュは作中に間違いなくあります。
とある作中人物の咆哮…
「くそ! くそ! ペド野郎めが!」
…には、あまりにも「分かるぞ!」過ぎて思わず大声出して笑っちゃったくらい。
だけどお話がとても多層的な構造を持ってるので、そもそもジャンルの枠に嵌めるのが難しいんですよね。18禁というゾーニングの中でなければ語れない、頭の先から爪先から股の間まで、あらゆる要素の詰まった物語…という感じかなぁ。
たとえばあのヒトとあのヒトのH場面なんか、レイプでありつつ和姦でもあり、憎悪でありながら情愛でもあり、禁忌でありながら聖的でもあり…。
そんな具合にストーリーのあちこちに情感が溢れ返っていて、そのうち頭と下半身がテンデンバラバラに反応し始める。何でもない会話シーンでやたらと勃起したかと思えば、Hシーンでは下半身以上に胸や目に響いて拳を握り締めたりボロ泣きしたり…。
加えて、本作はゆにっとちーずの中にあっては様々な点で割と異色作になっている印象もあり~の、だけどそれがゆえに最終作でありながらサークル入門作として最初にプレイするのに適した作品なのかも、という矛盾した感覚もあり~の…で、一層説明が難しい…んだけどまぁ…そうだなぁ…そのあたりから話し始めるのが良いのかな。。。
以前『ご主人さまにあ』の感想文でも書いたことなのですが、このサークルの作品には他の追随を許さない煌めきと共に、それがゆえにエンタメ的成功への道が険しくなる、という皮肉な相反が内包されている感がありました。
『ニルハナ設定資料集』で山野さんご自身が吐露されているのでもうここにも書いちゃいますが、ゆにっとちーず作品には「触れた人間を傷付けたいという想い」が、濃厚に漂っています。
(それが極点に達したのが前作『ご主人さまにあ』かと)
多くの人は、自分のリビドーの捌け口として消費しているエロの表裏一体に『パコられ』に描かれている陰惨な世界も存在していることを知っていながら、とりあえずそのことには目を瞑っておいて、性を一時のエンタメとして消費すべくエロゲのアイコンをダブルクリックします。
ところがゆにっとちーず作品は、広げたゲーム画面にプレイヤー自身の姿を映す鏡をドンと立ち上げてくる…。
その鏡面が見事なまでに磨き上げられ美しく反射することに僕は感動し魅せられてしまったのだけれども、そこに映し出される自分の姿は、時に下衆なゲヘヘ笑いを顔面に張り付け股間を握り締めた怪物の醜悪さだったりもして、その鏡の糾弾に耐えられる人ばかりではなかろうなぁ…とも。
エロゲを制作してる者としてコレ言っちゃうのはあるいは拙いかもなんだけど、抜きゲーと呼ばれる作品の八割方には、生身の「ニンゲン」は出てこない、と実はワタクシ考えています。いやひょっとしたらもっと。九割方かも。
コレはdisってるんじゃなくて、そうでなければならない理由があるからだろうなと思うのです。
エロゲに登場する者たちはあくまでエンタメのために消費される「キャラ」であり、たとえばNTRにおいても往々にヤられるヒロインは生贄として、ヤる間男は人の形をした(あるいは人の欲を凝縮した人外や触手の形をとった)性欲として、寝取られる彼氏・夫は嘲笑の捌け口の愚かなピエロとして、カリカチュアされた現実の断片を演じる人形たちです。
彼らは必要以上にリアリズムを纏ってしまってはマズイのです。
日々の現実世界のアレコレに倦み疲れ、一時のセックスファンタジーのカタルシスにチンコマンコいじりながら酔い痴れたい人々に、再度現実の人の有り様を描いてみせるのは…それが精緻であればあるほどかなり酷なことでもあるでしょう。
ゆにっとちーずの過去作の多くには、そういった、プレイヤーの喉元に突き付けられた切っ先鋭い刃みたいなところがある。
ところが『ニルハナ』はちょっと違うんです。同じ刃物で例えるとすれば食事会のテーブルに載せられる銀のナイフ…とでもいうのかな。
本作はサークル作品中最大規模の舞台を持ち、百年単位の時間の中、国内外のあちこちで、数多くの登場人物たちによって、魂を揺さぶられる恋愛ドラマや超常的な伝奇ドラマが展開します。
「どの話がどこでどう繋がるんだ?」
「コレってどゆこと?」
「ははぁ、つまりこの人たちは…」
「あッまさかこの人ッ!?」
…と、サスペンスフルなストーリーが起伏に富んでいてプレイしていて実にワクワクた~のし~!
そこには多くのエロゲが提供する剥き身の性の発散とは別種の、また今までのゆにっとちーず作品の切羽詰ったヒリヒリ感ともちょっと異なる、潤沢な素材を使って丁寧に料理されたエンターテイメントのカタルシスがあります。
(そういえば作中に様々な料理が登場するのもゆにっとちーずの特徴のひとつですね。プレイ中に自分でもヘタクソなポモドーロ自炊して食っちゃった(^ ー、^))
「鬱ゲー」というジャンルに括られることも多いゆにっとちーずの作品群。その積み上げてきたサークルの歴史の頂点に積まれた最終作『ニルハナ』のこの化けっぷり。これ自体がもう、ひとつのドラマですわ。
この変態(ドスケベの方じゃなくてメタモルフォーゼの方ね)がどこから生まれてきたのかプレイヤーの側から全てを知ることは難しいですが、作品冒頭においてユウが語る「魔法」や、終盤近くで二人の登場人物の間で交わされる物語ることの意義や方法論といったものは、このドラマチックな変容を慮るための多くのヒントを与えてくれているように思います。
サークル復帰したうみのさんによって描かれた吸い込まれるように美しいユウの姿と、その彼女を介して語られる山野さんの万感の思いが込められているであろう作劇論。そしてそこに流れる音楽がまた切ない。これがサークル最終作としての結実なのかと思うともう体験版のココだけで涙腺崩壊モノでありました(;_;)
(それと『設定資料集』に書かれている様々な舞台裏ね。これを読みながら全体像を追いかけてみると、僕が『ご主人さまにあ』でこのサークルを知ってから『ニルハナ』が完成するまでのここ2年余りの経過は、思っていた以上に奇蹟的なものだったんだということが分かって改めて胸にグッときます…)
作品は、触れた人を傷付ける刃にもなれば、救いの手にもなり得る。
「流れ出した血でも物語は書ける」
「でも、あなたの心はとても弱い。書ききる頃には血も涙も枯れてしまう。それもひとつの到達点だと思うけれど、私は嫌。嫌なの。あなたに力尽きて欲しくないのよ」
刃の鋭さを知っていればこそそれを使って人を救う事も出来る、ものづくりの両義性みたいなもの。「沢山の人間の祝福」を得るための「魔法」とは一体何なのか。
「隠すだけ。手放すわけじゃない……距離の置き方を覚えるのよ。
ちゃんと身につければ、好きなときに振りかざせるし、不要なときはしまっておける。自分を傷つけてしまうことも少なくなる」
ユウやカスリのセリフとしても『ニルハナ』には度々この「魔法」という言葉が出てきます。
あるいは本作だけからその言葉の重みを汲み取るのは難しいかもしれません。
「いくら物語を作って自分を俯瞰していても、耐えきれないできごとがあるって思っちゃった。負けたのね。感情に。だからもう書くのはやめようって諦めてた」
ゆにっとちーずの作品群は世界線が繋がっているものも少なくないのだけれども、
とりわけ『ニルハナ』はその直前作である『ご主人さまにあ』との陰陽二極を為す双子作品のような部分も多く、この二作品は是非とも両方セットでプレイして頂きたく。
本当は『ご主人さまにあ』→『ニルハナ』の順番でプレイした方が色んな理由でエモいんじゃないかと思うのだけれど、この際逆でもイイ、『ニルハナ』やってみて面白い!と思われたら『ご主人さまにあ』もプレイして、『ニルハナ』にもたらされる救済が、絶望の極北みたいな地平からの生還であることを知ってほしいです。
(でもってそれでハマったら、気が付きゃサークル作品全部コンプしてるんじゃないかと思いますよ。そう、私だ<( ̄^ ̄)>)
ていうか、NTRみたいにグルッと一回転した性癖を持ってる人ほど、矛盾に満ちてでもだからこそ逼迫したリアリティを備えたゆにっとちーずのキャラクター達は胸に強く響くんじゃないかなぁ…………というわけで、ここからは大いにネタバレ込みの『ニルハナ』登場人物たちのお話がしたいのだけど、、、それは日を跨いで頁を改めさせてもらいますね。
書きたいことがありすぎてとても1回だけじゃ書ききれないの。。。