『ニルハナ』ゆにっとちーず Last Presents!!!(2)

『ニルハナ』感想つづき。

昨日は漠然とした大枠みたいなことばっかり書いちゃったので、今日はもっと中身に突っ込んだお話を。

宮森タツヤ
ゆにっとちーずの作品には繰り返し描かれるモチーフが幾つかある気がするのですが、その中でも最たるものが『ニルハナ』の主人公宮森タツヤがやっている「他人の感情の搾取」です。

体験版で彼の行動に触れた時に最初に感じたのが、あ~コイツ前作『ご主人さまにあ』のエピローグに登場するカレと同じことやってるな~、というもので、
その時点で僕には「『ニルハナ』は『ご主人さまにあ』アフター」的なイメージが生まれてました。

(『ご主人さまにあ』には他にもこういう性癖を持った屍奪鬼が登場しますし、『淫夢みるさなぎ』にもモロそういう人物が出てきます。更にもう少し俯瞰すれば、ゆにっとちーず作品の中で何らかの苦しみや懊悩を抱えている人の周囲には、何らかの形でその人を搾取するニンゲンが必ずいますね)

情緒不安定なメンヘラ女性ばかりを狙って疑似的な恋愛関係に嵌め込みつつ、相手の心の傷を巧みに弄くって苦しめ泣かせて「自分の心が動かないから、他人の感情で心の暖をとる。」付き合う相手を追い込んで自分の快楽に使役させる点ではサディストであり、さも優しげな顔をして“赤の他人”の動揺・錯乱を眺めながら悦に入るところはさながら覗き魔。ユウに罵倒されるとおりの「ゲス」な「ウジ虫」です。

しかしココでも山野さんならではの「触れた人間を傷付ける」凶器が発動しています。
タツヤが行っている他者の感情搾取は、物語を覗き見しながらそのキャラクターたちの揺れ動きを愛でている僕達プレイヤーの行動に他ならないからです。

(さてここからはネタバレ全開。必ず『ニルハナ』コンプ後にご覧ください)


僕はタツヤの中に自分自身のイヤラシさを感じました。それは背骨がゾワゾワするような居心地悪いことでしたが、裏腹にそのイヤラシさが彼にシンクロしてこの物語をプレイするための依り代にもなりました。
テマリちゃんルートに「堕ちた」タツヤが見せる邪悪さたるや。いかにも親身なオニイサンぶった言葉で「いい人」を演じ自分は一切傷付かないポジションを確保しつつ、内心ニヤニヤ笑いながらテマリの心と体を弄ぶタツヤの姿には本当に虫唾が走りましたが、しかし同時にそれに共振して勃起している自分自身にも「はぁ~」と自己嫌悪の溜息が。あのルートのタツヤは、ナミダが言う「偽悪でも続ければ本物になる」を体現した「ニンゲン」として一つの完成形を見せているとも言えます。

テマリテマリちゃん、可哀そうでしたね。
彼女のエピソードはネトラレものでは最もパターン化されアチコチで極めて安易に消費されている陵辱譚ですが、山野さんの手に掛かると手垢まみれのポップなポルノグラフィの渦中に置かれた犠牲者の姿が、実存する人の形を持って立ち現れてきます。

「だから、これを精神科の先生とか、カウンセラーとかに話して、性的な経験のショックがーとか言われるとちょっとその時点であほらしくなってきちゃうんですよね」

「違うんだって…どうでもいいんだって……あたしそんな俗っぽいことで傷ついてんじゃないんだよ……みんな経験したことないから想像すんだよ。レイプされんのが一番つらいって。痛そうだし傷物になるんだし、それが一番嫌だよねって」

彼女の自分語りを聞いてた最初の内は、「まだ何とかなるよ~、君らまだ若いんだし、お互い好き合ってる気持ちは確かなんだから~」な~んて、いかにも日和見なオッサン気分でいたのですが、、、

あの手紙はきっつい。アレはきっつい。
タツヤの言うとおりアレは間違いなくケイがテマリにかけた呪いの言葉です。それこそ日和見的にボーッと見てたら「こんな何てこともない一言」とピンと来ないかもしれないけど、当事者にしてみると…催眠術とかマインドコントロールって、こういうものなんじゃないかなとリアルに感じました。あの呪いを解くためにはカスリが言う「ご都合主義な奇跡とか、なんでもありな魔法」でもないと…難しいですよね。。。

そしてそんな魔法があるとすればそれが使える可能性持ってるのは正しくタツヤじゃないかと思うのですが、テマリちゃんルートの彼は魔法を悪用することしかしようとしない。。。はぁ~。。。


空木リュウヤさて、、、タツヤと「似ている」とユウが語る、『ニルハナ』のもう一人の邪悪なる主役が、空木リュウヤです。

ただ確かに他者の感情を啜る点では二人は相似ですが、でもこの二人は、両極端の端点から歩んできた道すがら、今は道中の半ばで偶々近い場所に到達しているように見えなくもありません。

タツヤの他者搾取は彼の原点であるカスリとの恋愛によるトラウマを埋めるための一種の防衛行動であり、彼自身も認めているとおりの偽悪です。タツヤは本人の言葉によれば本質的には凡庸であり、露悪的な自分の有り様に対する自己嫌悪も抱え込んでいるが故にキーチャイルドでは夜ごとカスリとの記憶夢を見せつけられて苦しんだりもします。
まぁ皮肉を言えば、そういうマトモさも含めて彼はリュウヤに比べるとちまちましくて肝の座らぬ頼りない主人公、と言えなくもない。

カスリ(タツヤとカスリのやりとりは、恋愛経験のある人なら多かれ少なかれ我が身に置き換えてしまうところ、あるんじゃないですかね。自己憐憫に見せかけた惚気を書けば、カスリを見ていると嫌が応にも思い出さずにはいられない、彼女がいなかったら陰陽倶楽部はなかったかもしれない、そういう存在がまぁ一応、僕にもあります…って書いてて色々イタいぞ、どーじゃ羨ましかろ?)

一方リュウヤの方はもっとエゴイストで、窃視性癖も生得的。幼い妹マユ(リュウヤでなくてもこのチビマユはホンットに「かわゆい」)に向けられた惻隠の情に埋もれていた彼のエゴイズムは、彼女との数年の別離の間に三人の女の自死を傍観しつつジクジクと育まれ、マユと再会した時には妹に対して肉親の情愛に絡み付いた肉欲を隠しきれないほどにまで肥大化していました。そこから先はマユへの思いが深まれば深まるほど、その歪んだ愛情は煮凝るようにダークさを濃くしていきます。2018-01-27_10h37_30

遂には彼自らが与えた「呪い」によってマユが壊されてしまうと、彼女を生きながらえさせるという目的のために次々と犠牲者の涙を搾り取るという、抱え込んでいたエゴイズムを最大限に発揮する名目を得てリュウヤは妖怪と成り果てます。

偽悪の仮面をかぶって自分を騙そうとしたタツヤに対し、「生まれつき他人への共感、同情というものが激しく薄い」本性をマユへの奉仕という偽善で糊塗しようとして失敗したリュウヤ。
タツヤはカスリとの恋愛において彼女の自立を恐れる自分のエゴを嫌悪し、だからこそ後に彼女が最後に自立を目指していたことを知って救済された。一方リュウヤはマユの自立を奪い、あくまで自分のエゴを押し付けることによって彼女を苦しみから救おうとした。似ているはずの両者ですが、結果的な生き様は正反対です。
僕はその頼りなさも含めて自分に近しいタツヤの方に最初にシンパシーを感じましたけども、自分の他者への共感は後天的に形成した紛い物じゃないのかという疑念も持ってるので、タツヤ以上に強烈なピカレスクを発しているリュウヤに魅力を感じる人がおられるのも不思議ではないですね。

ただ僕は、彼の邪悪さは生得的であるが故にむしろちょっと清々しくさえあって。
リュウヤが邪悪なのは彼が唯一マユに対してだけはマトモな愛情を振り向ける瞬間も持っているが故で、「彼からマユを取り上げるとなにも残らない」と人物紹介にあるとおり、マユなしのリュウヤはタツヤよりもずっと卑小で、せいぜい自殺願望を持った女にくっついてその生の終わりをぼんやり眺めている程度のことしか出来ない「ウジ虫」の小悪党でしかない気がします。

世の中には血も涙もない骨の髄までの悪党みたいな輩もいますが、そういう他人の感情への接点を一切持たない物体は最早地震や台風みたいな災害の類で、「悪」ではあっても「邪悪」じゃない気がするのです。

「果物絞って汁出すときにさあ、痛そうだなとか可哀そうだなとか考える?」
「出てくる汁とそれが美味いかどうかが大事なんであって。絞ったあとの皮なんかゴミ箱に捨てておしまいじゃん」

この言葉が向けられる相手、その人が絞り出す苦汁がどんな背景を持っているか、それを知れば知るほど怒りは募りますが、たとえばこういう寝取り男に自分の彼女や妻が肉便器にされるネトラレを想像すると、当人は得てして無邪気で、女の体を使って自分がキモチヨクなれればそれでいいっていうある意味幼稚な子供に過ぎない。まぁだからこそそんなつまらんモノ如きに自分の大事な人が壊されるのが一層悔しい訳ですが、そこにはニンゲン的な邪悪さはあまり感じられない。僕にとっては相手の感情を慮るだけの共感性をしっかりと持ちながら、それを自分の欲望のための道具としてしか使わない、テマリルートのタツヤみたいなヤツこそが「邪悪」。
(だからそれは優しさとか思いやりとも紙一重で、メインルートのタツヤはテマリの気持ちを思いやれるからこそ自分に出来る限界を知ってそっと距離を開きます。それはそれでとても優しい判断かもしれない)


澄田ユウ輪郭は似ているが中身はネガポジのようなこの二人の男に絶妙な陰影を落としているのが、もう一人の男、光り輝くw澄田ユウ。

マユとリュウヤの人生にとって決定的なキーパーソンである彼が自身を「偽善者」と名乗るのは、タツヤが己を「偽悪」と呼称するのと対照的です。

「特に俺のようなロリコンはね、嫌われたくないから必死なの」
この男はきっと、今まで出会った人間の中で最も邪悪に違いない。(←マユの言)

どうやら内側には厄介なものも抱え込みつつ「自分は善人なんですよーって示すために、努力しちゃう」ことによって善人たりえていた澄田と、傷付けられた内なる純情を守るために悲壮に「ひどい人間」になりたがったタツヤの露悪とは、タツヤとリュウヤの対照とはまた違った対照を成していて、彼の名を名乗ったユウ(♀)がタツヤを罵倒しつつもその実彼に惹かれていく心模様も何ともいじらしいですよこのツンデレめ!

とはいえ……この物語において最も罪深い行動をしたのも澄田だと言えます。
オマエが頓死せーへんかったらマユのその後の人生はそれなりに普通に幸せで、呪いを植え付けられてその身を裂かれることもなかった。彼が絡んだ時だけ辛うじてマトモな行動を取っていたリュウヤ(世界への怨みで凝り固まっていたマユを彼に託したこと。マユに澄田と付き合っていると聞かされて殺意まで抱きながらも「失恋旅行ですよぉ……」と二人から距離を取ろうとしたこと)だって、クズなりにまぁ何とか誤魔化し誤魔化し人生をやり果せたかもしれないのに。殴ってやれリュウヤ、棺桶の中のソイツ、おもックソ殴って構わん!

……あ…でもリュウヤはその失恋旅行先でナームの不死の呪いを受け継ぐ訳だから、そのままじゃ人生終わりようがないのか。それにアイツの性格だったら澄田が生きてても遅かれ早かれやらかすのは避けがたいかな……(爆

(そして女たち……と、更にエモ過多に陥りつつ感想文はまだ続く(^^;)

ゆにっとちーず

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